詳 細

2013-06-17

【傳@達第三号 私見試論】切磋琢磨 

 10年間問われ続け、10年間答え続けてきた。「日本の対中PRをどう見ますか」。私の答えは概ね「そうですね、まだ精進の余地があるのではないでしょうか」だった。

 

  これが十数年変わらない答えだというと、いささか失礼かもしれない。けれども質問者はこの業界の発展を切実に考えている人たちであり、率直に本心を明かすべきだと考えた。また、私の意見に耳を傾けてもらえることで、状況の改善につながり、日中両国の交流から不必要な障害と誤解を減らせることも願ってのことだった。

 

奇妙なサイクル

 

どうやら日本の対中PRは奇妙なサイクルに入ったようだ。このサイクルは次のような構図ではないだろうか。

 まず関係者数の増加。中国が世界屈指の経済大国に変身を遂げるにつれ、日本の対中PRはかつてないほど重要視されることになった。PR担当要員として多くの中国籍職員や日本人の中国関連業務経験者が対中PRの企画、執行責任者に選任された。

 

次にプレッシャーの増大。彼らには「中国PR専門家」として過度の期待が寄せられ、「中国通」の君たちは中国に関して何でもできるはずであるとの周囲の思い込みが、彼らに「知りません」「できません」という返事をさせづらくした。

 

そしてPRの質の低下。彼らはこのような状況に置かれながらも奮闘してきたものの、PR会社を含めて組織内教育の制約などにより、PRに関するスキルに必ずしも十分に習熟した状態とはいえない。

最後に反省・討議の欠如。PRクリエイティブの公表後、出来具合について関係者の間で積極的な検討はなされないどころか、むしろ業務研究を回避する傾向すらあり、切磋琢磨の場が形成されていない。

 

「歳月人を待たず」。今日の中国は国際競争の激戦地となっている。そんな中で、日本企業・諸団体の存在感を高めるために、このサイクルから一日もはやく脱出し、効果の高いPRを行うことこそ我々PR業界に望まれる喫緊の課題ではないだろうか。

 

「幸い」をめぐる事例

 

東日本大震災の後に、A社が中国人観光客向けのウェルカムメッセージのドラフトを作成した。その中に「幸い(幸的是)、観光資源のほとんどは災害の影響を受けずに済んだ」という一句があった。コメントを求められた我々は、「幸い」という表現を取り除くよう進言した。「日本語的には分かりませんが、何万人も亡くなった大災害にもかかわらず観光資源のダメージの少なさを『幸』と表現するのは、中国語的には不謹慎です」と伝えた。しかしA社は「幸い」という表現にこだわり、幸」とほぼ同じ意味の「令人欣慰」に入れ替えただけで、「日本語の方は『幸い』という表現でも問題なしと考え、変更しません」と強調した。

 

一般的に、コンサルティングとしてはこの段階で終わりにしても良い。採用するか否かの決定権はクライアントにある。しかし今回のケースは単純な言語表現の問題ではなく、重大な誤解を招く恐れがあるものだ。我々はクライアントのために重ねて説明をし、最終的には理解を得て、この表現の削除に至った。

 

「幸い」の使い方に関しては、日本語と中国語の間に根本的な差は存在しない。比較的重要度の高いものと低いものを比べ、重要度の低いものが損害を受けた場合は「幸い」と表現してもいい。だがその逆の場合は違う。東日本大震災は日本史上最悪、多くの尊い命を奪い、広い範囲にわたり甚大な被害を残した。日本各地の観光資源への影響が軽微であったことを「幸い」と表現したのならば、荒れ狂う津波が街を飲み込むショッキングな映像に心を痛めた中国人たちはどのように思うだろうか。彼らは日本人の「幸い」という認識を不可解に感じるだろう。中国に対してメッセージを発信するなら、まず中国人がどう感じるかを考える必要がある。(論語の郷党第10の13 馬問わずを参考に)

 

専門性と経験の重要性認識

 

PRのコンサルティング現場では、このようなケースに比較的多く遭遇する。これらは個別の個人、個別の企業、個別の団体に限った現象ではないことからすると、より広範囲に、日本社会全体は対外PRに対する認識を正していくべきではないかと考えられる。

 

PRは高い専門性と経験の積み重ねが必要な業種だ。不特定多数の大衆を対象に的を絞って情報を伝達するという特徴は、メディアの運営によく似ていると言える。それでは、中国のメディア管理に携わる人材育成はどのように行われるだろうか。大手メディアの例を見ると、メディア関連あるいは文学等を専攻した者が多い。彼らは学部、大学院を経て仕事に就き、10年、20年とキャリアを積み、その間に絶え間なく企画を練り、文章を書いてきた。そして部長職クラスに至り、初めて原稿の修正権・発表権を手にする。

 

一方、日本企業・機関の対中PR担当者の場合は、方向、内容など制作や発信の大きい権限を与えられ、人口十数億人の多民族国家の中国に向かってメディアリレーションを担当しなければならない。その影響力を考えれば余りに負担が大きい。責任感と緊張感が相まったプレッシャーで、身構えてしまうのも頷ける。

 

討議によるレベル向上

 

決して容易なことではないが、専門的訓練と経験の不足を補うには、業界全体に討論・研鑽できる環境を形成し、経験を交換し教訓から学ぶことは有効だと考える。余りにも高く期待されている対外PR従事者の肩の荷を、まず下ろしてあげる必要があるだろう。上司は彼らが感じているプレッシャーを極力減らしてあげた方がいいし、担当者自身も重荷を背負いこむべきではないと思う。

 

上海万博開催時、出展企業B社のメディアコンサルタントを担当した。B社が委託したPR大手作成のプレスリリースの幾つかは、文章として不足が多く、数度にわたって修正意見を提示した。当時、あるセミナー会場で、初対面の某翻訳会社の女性社長がこう言った。「いろいろとご指導をありがとうございます。お話から学ぶことが多くございました」と。彼女によれば、B社が契約するPR会社は、日本語で作成したプレスリリースを、彼女の会社に翻訳を依頼していたとのこと。彼女の率直な態度に私は感動し心から敬意を表した。

 

クリエイティブとは、遣り残しのある芸術作品のような仕事だと思う。どのようなベテランにも、ああすればよかったという思いは常に伴う。この仕事に完璧という文字は存在せず、日々の精進あるのみである。一旦発表、公にすれば誰からの批判も評価も拒まず、且つ拒めない。むしろ議論を歓迎する姿勢を打ち出したら如何だろうか。自身の成長、そして業界全体のレベルアップにつながるはずである。

 

私は日本の対中PRが奇妙なサイクルから脱出し、討論と議論が盛んになって、異議をも歓迎する空気が生まれて来ることを期待している。